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ダーウィンの日記1832年9月6日 [ダーウィンの日記(I)]

ダーウィンの日記(バイア・ブランカ)

[日記仮訳]

(1832年9月)6日

午前中に[バイア・ブランカの]湾に入った。だがすぐに浅瀬や堆のまっただ中で難航し、いったん錨を下ろした。この時小さなスクーナー[注]がこちらのそばを通り過ぎた。士官がひとりその船に派遣され、この湾やその他についての知識を入手した。このスクーナーはバイア・ブランカの入植地[スペイン系住民の入植地]からリオ・ネグロへ行くことになっているアザラシ猟の船であった。リオ・ネグロ以南でアザラシ猟をするつもりなのである。なかば出資者であり船長でもあるハリス氏[*注]が、ボートで入植地まで行くという条件付きで、こちらを湾内へ導く水先案内を申し出てくれた。その入植地にはもう1隻同じ港へのスクーナーがありそれに乗ってハリス氏はリオ・ネグロへ行くつもりなのであった。ハリス氏の助力により夕刻に素晴らしい湾に到着した。そこは全ての悪天候から守られているのであり、私たちは船を係留したのだった。
[注]スクーナーは2本マスト縱帆式の軽快な帆船。沿岸航海に向いているという。
[*注] Harris, James. 英国人商人でスクーナーの所有者でもあり、これから翌年8月まで測量のために船を2隻貸与するなどビーグル号に協力する。ダーウィンの後の内陸旅行の一部に同行する事もある。

ハリス氏はこの土地についての多くの有用な情報を与えてくれた。バイア・ブランカはわずかここ6年の間に入植されたもので、それ以前には湾の存在さえ知られていなかったのである。これはインディアンに対抗する前線の砦として設けられていて、ブエノス・アイレスとリオ・ネグロとを結ぶことが意図されているのである。昔のスペイン人の時代、独立以前に、リオ・ネグロの方はその場所の首長から購入されたのであった。バイア・ブランカの入植者たちの方はこの公正な先例に倣わず、以来結果として野蛮で残酷な戦争が続いているのである。このことついてはじきにより詳しく述べることになろう。

[天候]
1832年9月6日正午の天候:
北東の風、風力4、全天曇り、暗い、気温摂氏13.9度、水温摂氏10.6度。

[地図]バイア・ブランカの位置 (地図に"A"の印で指しているのはスペイン系住民の入植地;船の停泊地は湾においてこれより20海里ほど外側)..

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[画像]バイア・ブランカ..
2071092.jpg
出典:http://www.panoramio.com/photo/2071092

[日記原文]
6th
In the morning we stood into the bay; but soon got entangled in the midst of shoals & banks; we came again to an anchor. — At this time a small Schooner passed near to us. — an officer was sent on board to procure information about the bay &c: — The schooner was a Sealer bound from the settlement at Baia Blanca to the Rio Negro; south of which she intended fishing for the Seals. — Mr Harris, a half partner & Captain, volunteered piloting us into the bay on condition of being carried up in a boat to the Settlement; where there was another Schooner bound for the same port, & in which he intended taking a passage. — By Mr Harris's assistance we arrived in the evening at a fine bay; where sheltered from all bad weather, we moored ship. — Mr Harris gave us a great deal of useful information about the country. — Baia Blanca has only been settled within the last six years: previous to which even the existence of the bay was not known. — It is designed as a frontier fort against the Indians & thus to connect Buenos Ayres to Rio Negro. — In the time of the old Spaniards, before the independence, the latter was purchased from the native chief of the place: — The settlers at Baia Blanca did not follow this just example, & in consequence ever since a barbarous & cruel warfare has been carried on: — But I shall mention more about this presently. —

["ダーウィンの日記(I)"について]
ここで扱っているのはダーウィンがビーグル号で航海に出る直前と航海中の時期の日記のうち、1831年10月24日から1832年9月14日までの分の記事です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳します。
[日記原典] "Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

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